ただなんとなく生きてます

僕が天に召される日まで、ちまちま書いてみるよ。

なんとなく靖国

こんばんわ。今日もただなんとなく書きます。

 

無職の時に、靖国神社に行きました。

 

未来を僕らに託したのに、

 

その未来の奴が無職だなんて、

 

英霊に申し訳なく思ったのです。

 

 

九段…

 

『私に会いたくなったら、九段にいらっしゃい』

 

そんな言葉を聞いた事があった。

 

爆風スランプの歌にもあったね。

 

どんなところなのか歩いてみた。

 

無職で鈍った身体に、厳かな刺激。

 

政治家らしき人が何人かいた。

 

無職で時間はあるし、

 

隅々まで歩いてみようと思った。

 

戦車長だった人が、境内の植物の種を拾い

 

苗木として販売しているところがあった。

 

そこで1人の外国人と会う。

 

僕は、英語が全くできないが、なぜか僕を見る。

 

『コレハ、シザンカデスカ?』

 

『シザンカト、サクラガホシイデス』

 

ふふ。これが、サザンカだよ。

 

僕は訂正してあげた。

 

彼は喜び、オー!シザンカ!と笑顔になった。

 

僕は、彼と握手をして別れた。

 

日米友好の証だ。

 

ここで購入できる『英霊の言霊』という冊子は

 

心を抉る内容で、いつまでも無職でいちゃいけない。

 

そんな気持ちになった。

 

 

近所のおじちゃんは戦闘機乗りだったと言う。

 

戦闘技術を教えてくれた人は、元ラバウルの戦士で

 

とんでもない人だったとか。

 

皆に技術を伝えた後、不休の連戦で体力が消耗し、

 

戦死してしまったのだと聞かされた。

 

地上で戦う人達を敬う事を教え、

 

バナナを上空で凍らせて仲間に配る。

 

そんな優しい人だったとか。

 

おじちゃんは、サンジャック岬というところで

 

戦闘機を乗っていたと言う。

 

ネットで検索すると、すごく綺麗な場所。

 

戦争とは無縁な場所に見えたっけ。

 

 

おじちゃんは劣勢の中、善戦したが負傷し、

 

雲に隠れた事で難を逃れたと聞いた。

 

堕とされた仲間を急いで火葬し、

 

敵が基地の場所を特定するのを避けるために

 

背景のある写真は全てそこで燃やして撤退したと言う

 

その時の怪我が元で、輸送機乗りになったとか。

 

戦後、仲間からの年賀状がどんどん減り

 

寂しいと話していた。

 

おじちゃんの仲間は、戦後も戦争に参加したとか。

 

朝鮮戦争でも輸送機に乗る人がいたんだね。

 

 

来月から職探ししようかな…

 

そんな気持ちで帰りの電車に乗った。