ただなんとなく生きてます

僕が天に召される日まで、ちまちま書いてみるよ。

くやし涙

少年がいました。

 

小さいと言っても、

 

小学校の3年生です。

 

少年がもっと小さい頃、

 

大きな空き地で遊んでくれた人たちがいました。

 

少年は、その時の事が忘れられませんでした。

 

 

時間を見つけては、その空き地にいくのです。

 

空き地と言うと、平面を思い浮かべるでしょうね。

 

ですが、この空き地には高低差がありました。

 

芝生の土手にダンボールを敷いて、

 

滑り降りた事はありませんか?

 

この空き地には、芝生部分と

 

ごつごつした土の崖部分の

 

2つの高台がある空き地だったのです。

 

 

少年と遊んでくれた人たちは、

 

そこで虫をとったり

 

木に登ったり

 

崖を掘ったり

 

秘密基地を作ったり

 

なんて遊びを創るのが上手なんでしょうね。

 

思い出は、宝物として

 

少年の心に残りました。

 

 

ここの楽しさを伝えようと思ったのでしょうか。

 

隣の地区の高学年の子供たちがきた時

 

頼まれて案内役の様な事をしたのです。

 

まずは木に招待。

 

皆で登りました。

 

木の上には、あの日設置した

 

ベニヤ板や、壊れた電話。

 

ジュースを置ける台がありました。

 

大きな子供達は

 

それらを蹴り落としました。

 

地区の文化の違いなんでしょうか…

 

木になんて登らせなければ…

 

心が痛い、痛い。

 

 

ここは、土を掘ると赤い土が出る為、

 

『赤土山』と呼ばれていました。

 

夕方までここで遊び、赤茶色に染まった洋服で

 

よく帰宅したものです。

 

空き地の下に住む僕は、

 

空き地の上に帰る友達を

 

よく見送ったものです。

 

彼らは夕日をバックに帰っていくので

 

思い出も強く残ります。

 

夏になるとこの坂のてっぺんは、

 

暑さで蜃気楼みたいにもなるんですよ。

 

焼けつく暑さの中、お昼を食べに帰って行く友人を

 

おんなじ様に見送った事もありました。

 

 

【赤土山だよ。赤土山!】

 

同じ思い出が作れるんじゃないかな?ドキドキ。

 

『はっ?ただの土手だろ』

 

『山じゃねーよ!土の土手!』

 

 

【赤土や…ま…】

 

もう何も言う事はありませんでした。

 

当時、スケボーが流行っていて

 

思い出の坂は、

 

ただのスケボーの遊び場になりました。

 

土いじりなんかしない子供達が

 

隣の地区にはいたんですね。

 

 

そりゃ、ぼくも

 

スケボーを持っていました。

 

遊びは変わっていくものだよね。

 

ただ、あの時の楽しさって

 

何をしてても味わえなかった。

 

こんなにもメンバーで変わるものなのかって

 

心底思ったよ。

 

 

そんな時です。

 

あの時遊んでくれた人の弟がやってきました。

 

[一緒にあそぼ〜!]

 

輪の中に僕を見つけてしまったのです。

 

[ねぇ〜!涙石みつけた〜!]

 

『あはは。なんだこのチビ!』

 

僕は、こいつらといるところを見せたくなかった。

 

あきらかに波長が違う。

 

チビと呼ばれた、

 

僕よりも小さい少年を守りたかった。

 

 

涙石という石…

 

僕らは、掘って出てきた石に、

 

名前を付けたりした。

 

化石ごっことでも言うのだろうか…

 

水色の石で、

 

涙の粒みたいな形をしていた。

 

それで、なみだ石。

 

 

大きな少年たちは

 

それを奪い、嘲笑した。

 

そして、それを

 

木材加工の工場の屋根に投げた。

 

小さな少年は激しく泣いた。

 

僕は、我に返った。

 

ほんとのともだちって、どっちか…

 

あとはよく思い出せない。

 

勝てない相手に飛びかかった。

 

負けたくやしさから、

 

僕は相手の腕を噛んだ。

 

相手が泣いたのだけ思い出せた。

 

 

涙でにじみ、

 

歪んだ小さな少年の顔が見えた。

 

僕も泣いていた。

 

あの時、屋根に飛んだ涙石は

 

ぼくら2人を強くしたんだ。